阿智について⟩阿智神社の由来、境内案内など

阿智神社の由来

応神朝に朝鮮半島より渡ってきた漢の霊帝の曾孫、阿知使主(あちのおみ)一族。彼等は「製鉄」「機織」「土木」等の先進文化を担う技術集団として、吉備国の繁栄の礎を築き、当時、島(内亀島)であったこの鶴形山に神々の天降られる斎庭として、日本最古の蓬莱様式の古代庭園を造ったと伝えられている。
白壁の蔵の町、倉敷美観地区の一角にある鶴形山の頂上に鎮座する当社は、この阿知使主一族の大いなる功績を称え、明治時代に現社名になったが、社伝によると神功皇后がこの付近を航行の折、嵐に遭い祈願されたところ、三振の剣が天空より明るく輝いてこの山に天下ったため、「明剣宮」として、宗像三女神をお祀りしたとされている。中世、神道が仏教と習合し、明治までは「妙見宮」と称され、旧倉敷総鎮守の宮として近郷近在の人々の尊崇を集めてきた。
祭神の宗像三女神は皇祖神、天照大御神と素盞鳴尊の娘神で、海の守護神であり、交通交易、財宝、芸術、美の神でもある。その他、応神天皇を始め、約三十柱の神々をお祀りしている。
また山には神々をお祀りする磐坐(いわくら)が点在し、古代から神の島として崇められてきたと思われる。

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阿智神社の杜

境内案内図
境内案内図

磐境(いわさか)、磐座(いわくら)、鶴亀の石組(古代庭園跡)陰陽石

阿智神社には蓬莱思想に基づく鶴亀の石組(天津磐境)、枯滝の石組、陰陽の磐座等が数多く遺されており、古代の石組の起源を探る貴重な存在として注目されている。

【 阿知使主族が奉斎する神社 】

特に四世紀以後、大和朝廷は朝鮮半島と密接な関係を持つようになり、古事記によると応神天皇の御世に東漢氏(やまとのあやうじ)の祖先とされる阿知使主(あちのおみ)とその子、都加使主(つかのおみ)が十七県(あがた)の漢人(あやひと)を率いて帰化したと書かれており、その一部がこの地に住みつき、養蚕、絹織縫製(中国の呉より縫製女工、兄媛、弟媛、呉織、穴織の四人を連れて来る)、製鉄、機織、土木等の先進技術を伝えたとされる。
また古事記によると、履中天皇の御世に阿知使主族に功績があり、蔵の官(内蔵寮)に任命され領地を賜ったとあり、阿知の名前が残されたこの地がそれであったと推定される。
阿智神社はその阿知使主族の奉斎したものとされている。(和名妙に阿智の明神と記されている)

【 神仙蓬莱思想や陰陽思想の導入 】

この辺りは備中府史等によると、阿知潟(あちがた)、社記には吉備の穴海と称される浅海が広がり、神の島とした小島に社殿を奉祀したとある。
彼らは帰化するにあたってその帰属意識を明らかにする為、日本に古来より伝わる磐座、磐境を設け、さらに彼ら民俗の先駆的文化を盛り込むべく中国から伝来した鶴亀の神仙蓬莱思想や陰陽思想を導入したものと言われている。

【 石組 】

石組は現在本殿向かって右側の天照大御神の磐座と磐境、菅原神社の磐座、左側の鶴石組と亀石組及び荒神社を挟んで北側に広がる枯滝の石組、斎館北側の陰陽の磐座に見る事ができる。

生命力、生成発展、豊穣への信仰

本殿左側に戌亥(いぬい)「北北西」の方向へ、荒神社を挟んで一線に連なる天津磐境(鶴亀の石組-枯滝の石組)や阿知の藤(県天然記念物)は古来生命力、生成発展、豊穣と深く関わる信仰の場となっています。 古伝承によると東坂の石段が下より、八十八段の米寿段、六十一段の還暦段、三十三段の厄除段を登り随神門口に至り内側の七段、拝殿の五段、更に荒神社の三段で母なる神の身の内、生命力の根源に達するとされています。

米寿坂の写真

米寿坂

厄除段と随神門の写真

厄除段と随神門

荒神社の写真

荒神社

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阿知の藤

岡山県天然記念物「阿知の藤」は、アケボノフジという珍種である。根回り約1.5m、根元周囲約2.2mで、同種の藤としては全国一の巨樹とされている。20m四方に枝を広げ、淡紅色の花が大藤棚一面に咲き誇る様は可憐でいて、見応えがある。
この藤は、鶴形山の真北に位置する福山で、太平記にある「福山の戦」があった時、東上を開始した足利直義二十万人と後醍醐天皇方新田軍先鋒隊、千五百人が三日間善戦し全滅したことから、慰霊の為に再生のシンボルとしてアケボノフジ(不死、不二につながる)を植えたのではないかという説もある。
樹齢については、藤には年輪が無いため諸説がありますが、阿知の藤は県の天然記念物指定当時の調査によると、300から500年といわれています。(樹木医・山本利幸氏診断)老木のため寄る年波には勝てず、一時は枯死寸前に陥ったこともあったが、地元住民らの働きかけで治療を施したことにより樹勢が回復した。今では毎年4月下旬から5月5日の藤祭りに藤棚の下、和楽の演奏やお茶席が出て、多くの人で賑っている。

「阿知の藤実守」には阿知の藤の実をお入れしており、お守袋には可憐な曙藤をあしらっています。
藤には、不死(健康長寿)と不二(和合)という意味もあり、加えて宗像三女神のご加護のある幸福守です。

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鶴形山公園

鶴形山公園には「阿知の藤」以外にも多くの見所がある。藤棚から眼下に広がる倉敷の町並みを見ながら西参道へつながる道を進むと「鐘楼」が見えてくる。この「鐘楼」は江戸時代中期に造られたもので、“時の鐘”として今も地元民に親しまれている。見晴らしの良い、観龍寺の白壁を過ぎた所に八丈岩(磐座)阿智潟社(祠)があり、 また季節ごとに咲く花を観賞しつつ、様々な野鳥の鳴き声に耳を澄ませ、町中でありながら緑豊かな森の中をゆっくりと散策するのも気持ちが良い。

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